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夢と妥協の狭間19年10/14

大規模な災害や、アクシデント等が起きたり、1人思い悩んだりすると、当たり前の理に似た妄想をしてしまう事があります。

基本的に私は、若者の頃から大きな夢というモノを持った事がありません。

強いて挙げるなら、社会人を目前にした時期に、漠然と東京に行くぞと決めた事位でしょうか?

ある時期から将来の夢的な事は考えない方が良いのではないかと思う様になりました。

恐らくは、15年位前からだと思います。それは確かです。

その時期に、ちょっとした絶望感に飲み込まれてしまいました。詳細は割愛させていただきます。

結論から言えば、その変革が、私自身のかなり大きなターニングポイントでした。

その分岐の発生した事自体が良かったのか、悪かったのかはたぶんこれから十数年後に分かるのか、もっと後なのかもしれません。

先日、近い将来の私の夢は何なのか?と尋ねられました。どうありたいか?という事でしょう。

健康状態は置いておくとして、答えは本当にただ、その時、その時に不満を出来るだけ持たないで過ごしたいと答えました。

出来るだけ笑っていられるのであれば、それが夢です。

物欲的な欲しいモノをあげてしまえば、例えば財布だったり、腕時計だったりはその時々あると思いますが、自分が在るべきとする未来予想図は、思い描かなくなりました。

実際、お金は有るにこしたことはないのですが、その他に対しても強欲さが少し失くなりました。

ある種の絶望を経験すると、歌の歌詞にもあったみたいに、何でもないような事が幸せだったと思える様になるみたいです。

まるで運命の様に、未来図とは自分の意志よりもむしろ、必然性によって定められてしまうのかもしれないと考えています。

だから、あまりにもその姿を強く意識してしまうと、その夢とは程遠い現実を直視してしまった時に絶望します。

全ての夢が叶う人も少なからずいます。

だから、自分はささやかな夢すらも叶わないと悟った時に人は絶望します。

未来とは確率みたいなものだとも思っています。

サイコロの目の1を出したくても、基本的には1/6の運次第です。数が増えてくればドンドン確率が低くなります。

1でなければ駄目とは言わずに、1か2か3でも良しとすれば、出目の確率は1/2に羽上がります。

それが妥協ですね。

今笑ってご飯が食べる事ができているのも、そうした小さな確率の積み重ねの賜物であり、奇跡の惰性だと思います。

人は隣の芝は青く見えるように、自分の持っていないモノを手に入れた人を妬み、嫉みます。

しかしながら、基本的に、自分の掌の中の物を奪い取っていく訳ではない場合がほとんどでしょうから、妬むいわれが本当は無いはずだと思います。

だから出来るだけ人の幸運に対して、それを見て舌打ちするのではなくて、本心からでないにしても祝っていきたいです。

笑顔でいれば、もしかしたら芝を青くする秘訣だったり、芝の種を分けてもらえるかもしれませんね。

世の中は平等ではないです。

若い頃はそんな筈はないと思っていましたし、報われない頑張り等はないとも思っていました。

今は違います。不条理の存在や不公平はあると言い切れます。

しかしながら、笑顔でいた方が絶対に、自分ではどうにも出来ない人外の何かの流れが良くなってくると確信しています。

人より少しだけ、そういう気持ちを持って過ごしているつもりなのですが、なかなか妬みが消える事はないですね。

まだまだ未熟者で当然ですから、ゆっくりと頑張ることにしましょう。

当たり前の事を少々哲学的に考えてしまう今日この頃なのでした。

( -_・)?

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