どんど焼きと成人式20年1/13
昨年お世話になったお守りや、正月中のしめ飾りを奉納する古札納め所が失くなってしまう前に、納め忘れた絵馬がありましたので散歩ついでに三嶋大社に行きました。
皆さんが奉納したお守り各種が、山となって積み上げられている真っ只中でした。
1/15に左義長祭とやらで、お焚き上げが行われるみたいです。さぎちょうさい?さぎながまつり?ひだりよしながまつりではないと思うのですが、読み方の分からない祭りですね。
別名はたぶん、どんど焼きだと思います。
最近は見かけなくなりましたが、子供の頃は焚き火はよくありましたので、積み上げられたお飾りの物量からして、とんでもなくデカい火柱が立ち上がるでしょう。ゾクゾクします。
見に行きたいと思いましたが、お焚き上げは朝一に行われるので、無理そうです。
そういえば今日は13日ですが、成人式ですね。
昨夜、古くからの友人の息子が二十歳になるのを思い出して、「成人式だね、おめでとう。」と一言だけメールを入れたら、いつもは忘れた頃か、むしろ無い返信✉️が直ぐに帰ってきました。
返事は、「早いものです。ありがとう。」と一言でしたが、若干の感慨深さとありがとうの雰囲気が珍しく出ていました。長い付き合いなので、何となく感じました。
思いました。自分自身にとっては成人式など、どうでもよい通過儀礼なのですが、この歳になってみて、親の立場としたら成人式は我が子の成人になる晴れ舞台の日として、思っている以上に大切で温かい1日なのかもしれないと。
私はとりわけ明るい青春時代を過ごしてきてはいませんでしたし、少し厨二病的な物事を斜めに見る癖がありましたから成人式に出席もしていませんでしたし、興味は2%位しかありませんでした。
しかし、式に出ずとも、両親の為というか、20年、30年後の自分の為にも記念撮影くらい残しておく気持ちの余裕を持つべきだったかもしれませんね。
私は18歳位から30歳位までの写真がマルッと抜けています。
何処かにいってしまった古い携帯の中にはデータが少し入っていたかもしれませんが、手元にはありません。
今となっては少し寂しい気もします。
リア充なんてクソくらえ的なイデオロギーは今でも少しだけというか、かなり有りますが、今は高三病位に病は鎮静化しておりますので、昔より周りや親に対しての感謝の念が育まれた感があります。
今年は、前記の友人とその息子も一緒に、軽く洒落た処で記念にお酒でも呑もうか?と口約束をしていたので、実現する事ができたらちょっと感動します。
だけど、私が彼の息子の立場だったら10年以上会っていない知らないオッサンとの会食なんて嫌の極みである事は充分理解した上での、実現の可能性の低いささやかな楽しみです。
私だったら断りますけどね。恐いし、気持ち悪い!
何はともあれ、新成人の皆様にとって、今日という1日が、良き思い出の日となって、これから大きく大きく飛躍されんことをお祈り致しております。
色々思い出して、少しだけ心がキュッとなった今日この頃です。
(´・д・`)