恋せよ乙女19年8/27
今年も沢山の蝉や他の昆虫のなきがらを見ました。
まだ暫くは見続けるはずです。
前にも書いたと思うのですが、たぶん私は社会人になるちょっと前位の頃からでしょうか?死にかけの蝉を見かけると、道の端の方や植え込みに移してあげる様になりました。
なぜ、ほぼ蝉限定かと前に考えた事があるのですが、ちょうどチキンナゲットみたいで摘まみやすいフォルムなのと、汁とかを出さない点、そして何より噛みつかないからだと思います。
今年の夏も既に50~60匹以上は私のエゴによって移動させていると思います。
道路のアスファルトの上で焼かれて死に絶えるのが何となく忍びないです。
時々道を歩いていると、サクサクとまるでスナック菓子か何かを踏んだみたいにお煎餅になった姿を目にします。
せめて静かな所で穏やかに最後を迎える事ができればと思っています。
今日もクマゼミがアスファルトの上でひっくり返っていました。オルゴールの曲が止まる前の様な足が少し動く程度でした。
周りにちょうど人がいなかったので、ちょっと離れた場所の土の上にそっと置いておきました。小さいお花も近くに咲いていました。
スマホを持っていたら何かの縁かと思い、よく生き物の写真を撮ります。死にかけの昆虫の写真は結構あります。死ぬ的なヤツだけでなくて、元気な姿の写真も沢山ありますよ。
私の近しい人達は慣れっこだから平気ですが、人混みで虫を拾ったりしたら気味悪がるので周囲の目を気にはしています。
樹上で暑い日々鳴いていた蝉がもう鳴くことも、飛ぶこともできなくなって仰向けになってしまう時に、何を想うのか?時々ふと考えます。
昆虫ごときにそんな複雑な感情は無いのかもしれませんが、昨日までは何事もなく大空を飛ぶ事ができたのに、今日はどういうわけか、墜落してしまうからには、ほんの一瞬位は何かを思うのではないでしょうか?
実は私は、3年前の9/8に突然左手が上がらなくなってしまいました。
痛みも無く、突然上がらなくなりました。
そんな感じで夏の虫達も突然飛べなくなるのではないかと思います。
今は左手は上がるようになったというか、時間をかけて、上げ方を覚えた感じです。かなり絶望感があって厳しかったです。今も不安です。
動きはいまいち思い通りには動きませんが、まあ以前よりマシになったので、良しとしています。
私はその時から若干の人生観が変化があったのは間違いないと思います。
つまり、たぶん私は99.9%明日を迎える事ができると思っています。
しかし当たり前ですが、100%ではないのです。
私だけでなく全て人に100%保証された明日はないという事実が大きくなりました。
だから、出来るだけ人との約束を守ったり、今この時間を共有している人との瞬間を少しでも明るいものにしたいと前より感じるようになりました。
そう思うと2%位、人に優しくなれたのではないでしょうか?
朱き唇あせぬ間に
♪(´ε`*)