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久しぶりにお肉屋さんでお惣菜をお昼に買いました。
ずっと気になっていたけど買った事の無い、トンカツを買いました。
トンカツを食べやすい一口サイズにカットしてもらいました。
そしてコロッケを追加に注文。
運良くどちらもまだ揚げてからそんなに時間が経過していない様で、まだ温かい感じでした。
それでも仕事場は暖房をまだかけていなく、少々寒いのでカップ味噌汁も帰りがけに買って温かいランチにします。
お肉屋さんのトンカツは一枚230円です。そしてカップ味噌汁は168円でした。
どうにもトンカツがとても安く感じます。
仮に二人家族ならトンカツ二枚で480円なので、基本揚げ物って面倒だからスーパーでトンカツ用のお肉を買って揚げるより全然楽な気がします。
それはそうと店には電子レンジ等の温めの家電製品がずっと置いていません。
小さくてシンプルな電子レンジを置くのは簡単なのですが、何となしに匂いとかが家っぽくなるのが嫌で置かないでいます。
それでもスーパーでお惣菜を買う時は唐揚げの頻度がとても多いので、最近は小さなトースター位なら置いても良い様な気がしてきました。
アルミホイルをひいて、トンカツや唐揚げをトースターでちょっと温めたらきっとお昼が美味しくなるでしょうね。
時々考えたり悩んだりしています。
そしたらパンをトースターで温めてバターで…そんな感じで家っぽくなりそうだと予想する今日この頃です。
o(T□T)o

静岡県三島市天然石のお店コタロー堂ブログ
暇な時、ついついスマホをいじってしまいますよね。
スマホはいつも手の届く所に置いてあるのが良くもあり悪くもあるのだと思います。
無作法ですが、昼飯の時に独りの時はよく本を読みながら食べたりしていました。
そんな無作法の進化形態にスマホ📱がなったのだと思います。
お気楽で適当な動画をラジオの様に聞き眺めながら昼飯を腹に流し込んでいるのが常習化しているのは考えものかもしれません。
そんな時たまに「この動画をにたどり着いた人には幸運が舞い込みます。」みたいなスピリチュアルなヤツがオススメに来たりします。
そんな時は(自分はちょっとだけラッキーなのかもかな?)的な3%位の期待と、目的も何も無いので単に惰性的にその話を聞きながら食べたりしています。
そんなこんなで先日、11/20にお参りをすると何やら良いらしいみたいな内容をスマホから聞いてしまいました。
理由は忘れてしまいましたが、感謝しながらお参りに行くと吉的な話だったかな?
私はそこまで信心深くはないですが、仏滅よりは大安吉日が良いとは何となしに思います。
そして割と容易くできる範囲の事は信心深く試してみたりもします。
例えば基本、お財布類は天赦日に新調しています。ボロくなったら予めちょっと前に買っておいて、その日におろしています。
11/20の参拝も可能な範囲の制約なので、本日の散歩はお参りにしました。
三嶋大社と他、散歩ルートに点在している神社幾つかにお参りに行きました。
無事に16年目を迎えられた事を含めて諸々の感謝よりも今後のお願い事の方が多かったかもしれませんww。
きっと幸福が来るだろうと他力本願で本当に自分勝手ではありますが、人ってだいたいそんなものだろうという納得と、聞いてしまった事をとりあえず実行できて満足した今日この頃です。
(・ω・`人)

静岡県三島市天然石のお店コタロー堂ブログ
一人夕飯の食材を買いに行った。
ふと空を見上げると、雲一つ無いグラデーションな空と夕焼けだった。
お金の事、健康の事、家族の事、仕事の事、将来の事etc.
ほんの10秒程、全てを忘れてただ単純に空の美しさに時間をとられた。
日々この瞬間を皆平等に照らしている事を普段気にもとめてはいない。
鍋に入れて温めるだけのおでん🍢セットを買って帰った。
冬になりますね。

静岡県天然石のお店コタロー堂 ブログ
何となしに運気みたいなものを変えたい目的として天然石をお求めのお客様はいらっしゃいます。
中でも個人でお仕事をされている方や、経営者のお客様の割合は多いと思います。
購入ついでに仕事上の悩みや、色々な愚痴を聞いて欲しかったりなお客様も比較的いらっしゃいます。
昨日も若い経営者の男の子がガス抜き兼、話をして流れを変えたくお店にいらっしゃいました。
いつも会話の中で、明確な答えや解決策を示してあげる事はできませんが、帰り際には少しだけすっきりした顔で店を出ていかれた様な気がします。
そして自分自身も運気が良くない時期もあれば、逆に良い流れみたいなものを感じられる時があったりします。
向かい風の時やあまり運が良くない時は、特に動かずに静かに過ごしたり、良い思い出の場所や気持ちが落ち着く所に行ったりしています。
最近では(意外にもほんの少しのちょっとした事で流れが変わったりしているのではないか?)と思うようになりました。
その小さな分岐点やタイミングは人それぞれで、好きな物を食べるだったり、花を飾る、風景を見る、本を読む、散歩する、人と会う等色々だと思います。
近頃特に嫌な事があった訳ではないのですが、気持ちが落ち着かない様な気分的にくさくさしている感じでした。
今日そんな運気から少し流れが変わった気がしました。
初めてのご来店のお客様だったのですが、何となく爽やかな雰囲気の男性の接客でした。
お客様のブレスレットを作りながら、何気ない話をして時を過ごし、そしてお見送り後にふと空を見上げたら綺麗な富士山🗻が目の前にありました。
それだけなのですが何故かそう思いました。
たぶんそう感じる、それが分岐点だと思います。
波長というか、少しだけ気持ちの良い時間みたいな偶然と偶然の重なりが必然に変わる瞬間なのかもしれません。
そんな事を考えながら昼飯に焼きそばと胡桃を食べていました。
誰かのラッキーアイテムになるみたいな、そんな良い雰囲気を醸したブレスが作れると嬉しいなと思う今日この頃です。
( ≧∀≦)ノ

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今年も本日より三島市楽寿園にて菊祭りが始まりました。
毎年、スタッフの方々が祭りの準備している様子を日々眺めていますので(天候に左右されたり、期日までに菊の陳列を完了させなければならない仕事は大変だろうな。)と思いながら通っています。
楽寿園の菊祭りは1ヶ月間位開催していますので、今のところまだ花は蕾です。
これから次々開花してきます。
蕾がいっぱいの鮮やかな緑の状態から満開の菊の美しさ、そして花弁が落ちた姿へと菊に喩えての変遷を毎年独り見つめています。
終わりの頃はあまり眺めに来る人々もまばらな感じになって、仄かに寂しく思い缶コーヒーを片手に眺めています。
私は年間フリーパスを持っていますので、この時期はより頻繁に来園しています。
是非ともお時間ございましたら菊の移り変わりの様子をご覧ください。
そしてついでに楽寿園の裏口的な南出口から一本道で直ぐなのでお店にお立ち寄りいただけると嬉しいです。
様々な事象に対して、一時の切り抜きよりも移り変わりにこそ、その瞬間の美や儚さを想う今日この頃です。
(・c_・`)

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金木犀が香る季節になりました。
何年も何年も同じ様なルートを歩いているので、何処に金木犀の樹があるのか知っています。
だから金木犀香る道を歩いています。好きな香りです。
そして時々ドングリを拾います。
特に拾う目的や意味はありません。
綺麗な松ぼっくりやドングリや蝉の抜け殻を見つけると何となしに拾ってしまいます。
私は一般的、平均よりお財布やお金を拾った回数が多いと思います。
誰かと歩いている時に足元に正体不明な物体が落ちていたりすると直ぐに拾ったりするので、「汚ないからむやみに拾うなよ」と注意されたりします。
お財布とかの場合、実は皆気がついていても拾わないので私が拾っているだけだと思います。
そして毎度交番に届けています。
いつか落とし主の現れないとんでもない金額を拾ってみたいです。
それはそうと気がつけば10月も終わりが見えてきました。
この間まで夏だな~、暑いうちに一度は海を見に行きたいな~とか考えていたのにあっという間に冬が近づいてきました。
毎年この時期位から若干メンタル、気分的に落ち込みがちなので、何らかの楽しげなアクションを起こしたいと思います。
とりあえず景色の良い所でちょっと美味しい飯でも食べに行こうと思う今日この頃です。
o(T□T)o

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ちょっと前から木彫りの動物像にはまっています。骨董品とかがメインです。
中でも象🐘と熊🐻の木彫りをたくさん買っています。
人の形の像は直感的に少しばかりの念が入っていそうなので避けています。
そしてそれらの幾つかは人にあげています。
どうやら昔に北海道旅行のお土産に、木彫りの熊を買うのが流行ったみたいな事を何かの本で読みました。
昭和40年あたりでしょうか?
時折熊の足の裏に40とか45みたいな日付みたいな数字が彫ってあるヤツがあります。
それと買った人?か、彫り師の名前?なのか分かりませんが、何らかの文字も見受けられます。
わざわざ刻印入れたりするなんて、高額そうな土産物っぽいです。当時でも工芸品なので5000円とか10000円位はするのではないでしょうか?
お金持ちの旅行土産だろうと予想しています。
私の家族旅行のお土産の記憶は、饅頭とかジャムみたいな食い物ばかりでした。貧乏人は先ずは口に入る物からでしょう。
話は戻して、収集している木彫り像は経年劣化している物も多くだいぶ傷んでいます。
日焼けしていたり、削れていたりヒビが入っていたりしている場合もあります。
傷みのある像の中でも特に人にあげるつもりのは自分なりに修復したりしています。
私個人の収集品は、そんな劣化跡も時代や月日の痕跡として良しとできますが、他の人は汚なく気持ち悪く感じてしまうかもしれないので見映え良くしているつもりです。
気分的に傷や表面についた過去の持ち主の触れた痕跡をヤスリがけをして、防腐塗料をを塗ってニスを塗って仕上げています。
艶が出て綺麗になります。
人にあげるつもりで手入れしているのですが、良い感じになると人にあげるのが惜しくなってきますね。
だから欲しいと思ってくれた時にだけあげる事にしようと決めました。
今日は2つ修復手入れをしました。
とりあえず乾燥させて欲しいかどうか聞いてから人にあげたいと思っています。
確かに興味が無い人からしたら古くて薄気味悪く感じるかもしれないですから…
目の前の修復塗装済みの大小別々のルーツだった熊が、元は親子だった様に見えて愛しい今日この頃です。
(・(ェ)・)

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秋らしくなりました。朝夕はだいぶ涼しく感じます。
私はまだ半袖シャツで過ごしたいのですが、周りは皆長袖だったりジャケットを羽織っていたりするので、嫌々上着を着ています。
そういえば最近気がついた事があります。
私は”本音と建前”だったら出来るだけ本音で話す方が良いと思っているタイプです。
だけど出来るだけ”本音で話す自分”というのはたぶん独りよがりな偽善者なのかもしれないと若い頃より強く思う様になりました。
建前ばかりなのは嘘つきになるのでしょうが、あまり他人には本音で話さない方が良さそうですね。
誉められない人の習慣や、あまり良くなさそうな人付き合い等に対してアドバイスを求められた場合、私は割と本音で「それは良くないんじゃないか?」と正直に答えていた方だと思います。
しかしながら、それらがあまり良くない事は当の本人も実は分かっていながら、ただ何となしに話しておきたいだけなんだと気がつきました。
否定的な返しになる”本音”は大概は必要無いのかもしれませんね。
そういう人との距離感がずっと不得意なので独りで仕事をしているのだと思います。
私も他人からはちやほやされたいですし、あまり攻められたくはないものです。
だからある程度は優しい建前で皆、そっと背中を押して欲しいのであろうと思う様になりました。
ヤル気に満ちた輝かしい光はもう私には眩しすぎる姿に映ります。
こもれび程の明るさがちょうど良く感じるみたいです。
そういえば甥っ子に身長が抜かれました。
時間の流れを感じずにはいられません。
笑いながら過ごせる時間に感謝を忘れない様にしたいと思う今日この頃です。
(┘゚∀゚)┘

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ありがとうございます。
おかげさまで16年目が始まりました。
今日は開店からお客様が来てくれました。
ありがたいです。寂しい始まりは嫌ですね。
私の職歴としても、このお店での仕事がある時期から一番長くになりました。
30年、40年と仕事やお店を継続している方はたくさんいらっしゃるとは思いますが、10年、15年という節目の年の始まりくらいは(自分なりに頑張ったなぁ~)と肯定感を持つことを許してください。
15年という時間の中での一番の変化は、圧倒的に天然石や石に対する知識や経験だと思います。
歳を重ねると、体力的にも色々とやる気的にも減少してきますが、見聞してきた知識だけは裏切らないですね。
開店当初の、「カーネリアンやガーネットはやる気や積極性upみたいだね。」とか、「緑系の石は健康に関係しているみたいだよ。」とかの何処かで聞きかじりの自分の問答を思い出すと恥ずかし懐かしく感じます。
とりあえず開店時の目標というか、信念としての石に対する感覚は、大きくブレずにここまでやってきたつもりです。
これからも出来る限りブレないで、経験を積み重ね、一日でも長く続けていけたら良いなと思います。
数年前から予約制を導入いたしました。お客様には事前予約のお手数をおかけしますが、代わりに導入以前よりもゆっくりとご案内できる様になったと思います。
これからも面白かったり、珍しい綺麗な天然石を皆様にご紹介できれば幸いです。
今後とも、末永くよろしくお願い申し上げます。
さあ、スタートです。
(。-人-。)

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人が生活圏としての利用を止めた建物群や施設、区域を私は廃墟として捉えています。
無人化した事によって周辺は植物に覆われ、物損とは少し異なった、経年劣化による侵食や浸食の姿に何とも言えない造形美を感じます。
私が頻繁に通る所に、ちょっと前に住民が退去した集合住宅、団地があります。
人が離れてまだ一年位だと思います。
住民がいた頃は毎年季節になると、名前も知らない花が敷地内に咲いていたりして、通る度に(今年もあの花が咲く時期になったんだなぁ~。)とかバイクに乗りながら眺めていました。
年数だったり、区画整理だったりと住民が出ていく為の事情は諸説あるのでしょうが、人が住まなくなった途端に建屋を纏う雰囲気が急に変わってきたのを私は独りで眺めていました。
何とも言えない人の活気というか生活の匂いみたいなものに次第にセピアがかった影がかかってきて、静かに時間だけが過ぎていく様子に私は惹かれるのかもしれません。
住民が所々に残した不要品の存在感を次第に敷地内に自生する雑草が隠し始め、ゆっくりと堅実に草が建物の壁を覆い始めてきました。
洗濯物を干したり、買い物袋を持って出入りする人の姿や笑い声はもう二度とここには見られない、ほんの少し前の日常の光景からの離別が何とも儚くて尊く思えます。
そういえばちょっと前に、私が幼い頃に住んでいた団地も偶然そこを通った時に解体されている最中でした。
悲しいとか残念といった感覚ではなくて、人々の毎日を見つめてきた”何か”が壊され消えていく様子が、全てのモノに不変性はなくて、やがて全ては必ず無に帰す事が普遍的な事実である事を気づかされます。
そしてその更地には新しい何かが出来て、新入居者のこれからの日常がそこで始まるのでしょうね。
過去があって、今があり、未来ができる。
そんな当たり前の気にも留めない時の流れや諸行無常な事柄を時折独りで考える今日この頃です。
σ(´・ε・`*)

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