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昨日の台風の影響による大雨はもの凄かったですね。
店の隣の用水路的な川は氾濫すれすれまで水位が上がっていて焦りました。
定期的に小雨になったりしていたのでギリ溢れないで切り抜けた感じでした。
いつもニュースで浸水した住宅やお店を見かけると明日は我が身だと思いヒヤヒヤしています。
だから昨日帰る時も、コンセント類や濡れたら困る物を棚に上げて帰宅していました。
今日は散歩しながら街中の様子を見て回りました。
何より降水量が多かったと実感したのは、楽寿園の小浜池の変化でした。
干上がっていた池が大量の濁り水で満たされていました。ビックリです。
その他の川は水位こそ若干上がっていましたが、私の見たエリアでは大きな変化は無さそうでホッとしました。
全国的に見れば、たぶん広い地域で今回の台風の被害は出ていると思います。隣が川なので毎度他人事とは思えないです。
実は昨日は帰宅時が大雨で店で一夜を明かそうかと思いましたが、川が溢れたらヤバいので小降りの合間に逃げる様に帰宅しました。
今回の台風の詳しい被害状況はこれから知るとは思いますが、これ以上の犠牲が無い事を祈っております。

静岡県三島市天然石のお店コタロー堂ブログ
先日ブレスレットというか、念珠を拾った話を書きましたね。
その後の話です。
散歩ついでに見に行ったら無くなっていました。
落とし主の元に帰ったのでしょうか?
流石にキラキラ感の無い念珠だから、他人のヤツは持っていかないのではないでしょうか?
その上何かしらの石碑みたいな場所なので、持ち帰ったら罰当たりな感じがするから私なら絶対ないです。
自己完結的な希望として、この場所を管理してくれているおばあちゃんが落とし主で、線香を替えに来た際に失くした自分のヤツを見つけて持ち帰ったという事にしておきます。
あるべき主の元へ帰ったと思うのが一番ハッピーエンドでしょうね。
数珠屋として、少しだけ良い事ができたのではないかと軽く納得してこれから昼飯を食べる今日この頃です。
(*-ω-)

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晴れた休日に、涼を求めて源兵衛川や湧水に集まる家族連れを眺めていると少し元気になります。たまに犬もいます。
楽しそうで気持ちよさそうです。犬も。
曇天の平日はあまり人も少なく、貸し切りみたいに景色を独り占めできて贅沢な感じがします。
賑わいとひっそり閑、その両方のバランスがある方が何となしに良いですね。
今年は少し早くに梅雨入りするのかな?
昨日から半袖シャツになりました。
雨続きは止めてと願う今日この頃です。

三島市天然石のお店コタロー堂 ブログ
たいして実のない独り言です。
ついでに人それぞれな話だと思います。
まず、私は独りでいる時間は割と嫌いな方ではありません。
そして誰かと共に行動するのであれば、できれば二人が好ましいです。
3人は嫌いではないのですが、例えば喫茶店に入ったとして、4人テーブル席に座るとすると向き合った2人とオマケの1人もしくは、2対1的な構図になるし、3人とも皆同じ熱量の話って少なく思えるからです。
時々(自分というか、人はなぜ生きているは極論になるので、何かしらの行動するのか?そしてそれは何の為に…?)みたいな事を考えながら散歩して他人を眺めては比べ自らを顧みたり、省みたりしています。
つまり過去の自分の行動を思いだしながらそれらの行動原理を探ったりしています。
街中でイチャイチャしている若者や中年カップル、いつも同じ所に座って通行人達に話しかけているじいさん等静かに観察しながらテクテク歩いています。
彼らの行動の理由を自分に置き換えたりしながら眺めているととても面白いです。
詳しく書くと長い話になるので、辿り着いた結論は、全ての行動原理は”私を見て”に収束されるのではないか?と思う様になりました。
常に誰かに見られたいという大前提の元に私も生きているのかもしれません。
分かりやすい例えとすれば、奇抜な服装をするのも地味に着飾るのも根本は人の目に映る自分がある訳で、きっと全ての行動に繋がってくるのではないかな?…と。
だから大人数でいるのが好きな人、私の様に少人数が好きな人、もし仮に違いがあるとすれば、自らに対する観測者の大小であり、但しあくまで見られている自分は独りだけなのです。
“我思う、故に我在り”に近いのかもしれませんね。
だから時々行きたくなるのですが、一人旅ですら見知らぬ地で、たった一人でいる私を何処かの誰かが見ているかもしれないと俯瞰的にとらえているのが落ち着くし、納得満足するのかもしれません。
“あなたを見るから、私を見てください。”
そんなシンプルな原理が人を人として形成しているように思われます。
SNSで夢中になって切り取った自分の時分を発信するのも、何ならこれを書いている私自身も、そんな感じなのかもしれません。
SNSの中ではいつも自分はヒーローインタビューであったり、シンデレラだったりするのかもと思う今日この頃です。
(´・д・`)

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今日も昼間はだいぶ暑いです。
日に日に三島の湧水の水量が増えました。嬉しいです。
暑い日は水辺を眺めて散歩しています。
水面を通過する風はアスファルト上のそれよりもだいぶ涼しいです。
そろそろ源兵衛川や白滝公園で靴やサンダルを脱いで水に足を浸している人の姿を見かける様になりました。
もうじき子供達が川遊びを始める時期でしょう。
いつも歩いているのですが、この時期が三島は一番輝いて見える気がします。
因みに写真は白滝公園です。

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今日の散歩中にブレスレットというか念珠を拾いました。たぶんお寺さんのヤツだと思います。
神社の社みたいな詰所的な所の前に落ちていたので、すぐ横の何かを奉っている所にそっと置いておきました。
きっとそこのお線香とかを定期的にやってくれたり、お掃除をしてくれている人が落としてしまったのではないかな?との予想です。
それとそういう場所に置いておく方が無下に扱われないかもとの想像です。
落とし主が次に来た時に置いてあるのに気づいて、その人の元に帰れると良いですね。
そういえばブレスレットの呼び名も色々あります。
ブレスレット、ブレス、数珠、念珠等、人それぞれ呼び方が違います。
私は物によって呼び方を変えています。特に正解は無いと思います。
まあどれでも基本的に通じますが、何となしに”数珠”は法要事の御数珠を指す事が多いのではないでしょうか?
「お数珠忘れた。」とは言いますが、「ブレス忘れた。」とは言わないので…
それから店にお問い合わせの電話の際に、「あっ、そこ数珠屋ッスか~?」とか「あっ自分、数珠欲しいんスケド~?」的なお問い合わせの時は男女問わず(もしかしたらこの人ガラが悪い人かもな~)と思いながら電話をとっています。ww
何となしに数珠言うと昔の人っぽいというか、輩っぽいイメージに感じますね。
その代わりに、”数珠欲しくて”の人の方が若干信心深い人にも思われます。
何かしらの後押しや、お守り要素希望の人が多い様な気がします。
まあ色々と面白いです。
これから散歩の道すがら念珠の動向を探る楽しみもできました。
たぶん経験上、この念珠はおばあちゃん👵が落とし主であると予想している今日この頃です。
(-ω-)

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今年も2、3週間前位から白滝公園の湧水が復活してきました。
ここ何年かずっと、冬場は湧水が枯れてしまいます。
理由は分かりませんが、どうにもならないので傍観しています。
5月に入ってから少しずつ湧水が出てきて、今は白滝公園らしい姿になりました。
湧水が枯れてしまっている時期に観光客っぽい方達がガイドブックみたいなのを見ながら公園に向かって歩いているのをたまに見かけると、とても申し訳ない気持ちになります。
湧水の水量の少ない冬に来て、半分以下の湧水の状態でも「色々な場所の湧水が綺麗でした。」とか聞いてしまうと、本当に再度夏に来てください。と言いたいですが、せっかくの観光に水を差すようでなかなか言えない時もあります。
たぶん今の時期から夏にかけてが、三島の街の想像していり湧水らしさが見られる様な気がします。
ちょっと暑かったら川に足を入れて涼める場所もたくさんあります。
たぶん長く三島に住んでいても、仕事があったり、そんなにトコトコ街を歩きまわらなかったりで、そういった湧水事情を知らない人が多いのではないでしょうか?
友人や知り合いを呼ぶなら今の時期がオススメです。真夏は暑すぎるので…
因みに最近急に気温が高くなってきたので、同居人のイモオ達みんなの水槽の水替えを汗だくになって終えました。
いつも水を替えてあげると少しだけ気持ちよさそうに笑って見える今日この頃です。

(*^-^*)
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今日は朝から地域の川掃除でした。
お店の周りの雑草とかを刈り取ったり、川の中の掃除をしたのでサッパリしました。
そういえば2、3日前からアマリリスが今年も咲き始めました。
毎年忘れずに咲いてくれます。
ほぼ同じ時期に咲いてくれます。
15年位前に貰った球根1株から増えました。
最初の球根をくれた人にありがとうと、毎年必ず咲いてくれる話をしたり開花を見せたりしたいのですが、もう10年以上会っていません。
もしかしたら、もうどこかに引っ越してしまっているのかもしれません。
そんな事を考えているとふと、(そういえば店の前を歩いていてたまに挨拶をしていたおばあちゃんをずっと見かけないなぁ)とか、そんな感じの事を追随的に思い出したりもしますが、そういう話は敢えて人に聞いたり追及しない様にしています。
実際おばあちゃんの名前とかも知らないし、何かしらを知ってしまったら寂しいので…
以前タバコを吸っていた時は、本当に頻繁に裏口の所でプカプカと煙を燻らせてはボーっと外で佇んでいましたので、近所の人や通行人とよく挨拶をしていました。
しかしながら禁煙してからは朝となく夜となくの出たり入ったりの頻度は極端に減ってしまったと思います。
だから日常の中のそれくらいの接点の他人に対しては気がつかないというか、普段意識をしなくなってしまったというのが現実だと思います。
毎年この時期になると、亡くなってしまった年配のお客様だったり、近所の時々お話をしていた人の思い出がよぎります。ある人の命日が近いからかもしれません。
実際そこまで親密な間柄ではなかったにせよ(もっと色々な話をしておけば良かったなぁ~とか、もっと何かしらのありがとうを言っておけばなぁ)とか考えたりして寂しくなります。
五月病ではないでしょうが、春が終わって梅雨のちょっと前のこの時期、少し寂しく感じてしまうのは私だけではないと思える今日この頃です。
(´・c_・`)

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先日木彫りの熊🐻を買いました。
リサイクルショップ的な店で買いました。
数年前から魚をくわえた、昔ながらの木彫りの熊が欲しかったので、リサイクル品で安かったので即決で購入しました。
「北海道的な民芸品の何やらで…」と教えてくれていましたが、選ぶのに夢中で話は忘れてしまいました。スミマセン。
確か数年前に、どこかの物産展で木彫りのヤツが欲しくて拝見していましたが、かなり高額でその金額を出してまでの購買意欲は無いので買いませんでした。
しかしながら、今回購入したコイツはそこそこ立派なクマさんに見えます。良い感じです。
それから先日、店の雨戸の塗り直しを自分でしましたので、道具&塗料一式があります。
だからそれらで熊と魚の全身のヤスリがけをして、塗料とニスでリメイクしようかと考えていました。
そんな時ふと民芸品の何やら…の話を思い出してしまったので、何となしに今は止めておく事にしました。
とりあえず全身をキレイに拭いてから店内に鎮座させました。番熊です。
中古なだけに、(以前はどんな家庭のテレビやサイドボード・リビングボードに置かれていたのかな?)とか想像して、これからヨロシク的に撫でました。
木彫りの動物のお手頃シリーズの収集も面白いかもしれません。
眺めてウキウキする反面、死んだじいさんの枕元にずっと置かれていたクマだったらちょっと嫌だなとも思う今日この頃です。
(-_-;)

先日お酒のコーナーでカッコいいお酒を見つけたので買ってしまいました。
シティーハンターのお酒です。
普段私はお酒はほとんど飲みませんが、酒瓶に吊るされた”冴羽”のボトルキーパーに魅了されての購入です。
シティーハンターは学生時代に夢中になって何度も読み返しました。今でも好きな作品の1つです。
実は上京して私が初めてちゃんと独り暮らしを始める事になった街がCHの舞台となる新宿でした。
そんなこんなもあってか、小さな部屋の窓の端に見えるビル群をたまに眺めては何となしに胸が熱くなったのを覚えています。
今考えても、田舎者が初めて暮らした街が新宿ってなかなかビックリなシチュエーションだと思います。
たぶんその頃の私は、青年と呼ぶには幼すぎる程、無知で純朴な田舎者だったと今になって思います。
しかしながら何も知らないが故に、全てのちょっとした違和感に対しても、微塵の疑問も抱かず、新たな変化を受け入れる事ができたのが強みなのだと思います。
全てがそういうものなんだろうと納得できて飲み込む事ができるのが若さなのでしょう。
歳を重ねるにつれ、万事に対して(最悪の場合は…)とか(こういった一面が他と比べて…)とマイナスばかり考えてしまう様になりました。
良くも悪くもクレバーになるのが老いかもしれませんね。
まあ何れにせよ、私は少しだけコレクション癖があるので、時々面白いお酒を買って集めてみたいと思いました。
基本無趣味なので、無駄にのめり込まずに、程々時々な感じにしたいです。
テーブル上のおそらく飲まないであろう酒瓶を眺めてはほくそ笑む今日この頃です。
(/ω・\)チラッ

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