散るには時期尚早20年3/30
桜の花が満開です。
今年は全国的にお花見🌸🍶はあまりしない方向ですね。
ここ数日、出勤時に玄関のドアを開けると足元に何処からともなく桜の花弁が流れ着いています。
目につく近隣に桜の木は無いのですが、風に乗って家まで来たのでしょう。
桜の花の散り際が儚くも美しい様に、人生や死を連想するのは、ある程度は世界共通の感覚なのでしょうか?それともアジア諸国?もしかして日本人だけの感覚なのでしょうか?
満開前に悪天候によって花が散ってしまう事があるのも、また人の人生みたいでなんとも言えない感じがします。
以前も書きましたが、実は私は数年前に突然左手に力が入らなくなった事があります。
今は腕の動かし方を次第に身体が覚えて、一見何でもない様に見えますが、以前の70%弱程の操縦感で腕を動かしているのが現状だと思います。
頚椎からきているそうです。
その事があってから、病や死に対しての考えがだいぶ変わりました。
事故や病気というのはどこか他人事の様で、自分にはまず降りかからない事象みたいに感じていました。
そんな事はなく、常に私の身近にあるというのを初めて痛感したのかもしれません。
(たぶん自分だけは大丈夫!)という慢心というか、根拠の無い自信が揺らいだ出来事でした。
何気無い日常が明日も必ず訪れるというのはどうやら必然ではないみたいです。
私だけではないと思うのですが、時々(日々自分はどれだけ無駄に時間を費やしてしまっているのだろうか?このままで果たして本当に良いのだろうか?)とお風呂に入っている時や、空を眺めて缶コーヒーを喉に流し込んでいる時に考えたりすると、闇落ちしかけてしまいますね。
1人の時間が多い為、頻繁にそんな囁きが聞こえてきてきます。
だからそんな時は、極力気がつかない、見なかった事にして、本を読んだり、イモオ達を見たりして忘れます。
たぶん、そんな答えの出ない、今考えても仕方ない疑問や考えを持てる事こそが、本当は幸せなのかもしれないと思う今日この頃です。
(´・ω・)
