なぜそこはケチるのか?20年10/5
仕入れ後は、綺麗で新しい天然石がいっぱい手元あって嬉しくなります。チラチラ眺めてはニヤついています。
おかげさまで近頃週末は、予約のお電話が増えております。ありがとうございます。それと合わせてお手数おかけしております。
しかしながら、基本的にお客様のご来店希望日時がかなりの確率で重複する為、予約をお受けできない場合がかなり出てきていまして、それに関しては本当に申し訳なく思っております。スミマセン。
ところで、今年も10/3をもちまして無事オープン13年目を迎える事ができました。
これからも面白かったり、綺麗な天然石道を追求していければと思います。これからも応援宜しくお願いします。
話は戻しまして、今日は数日ぶりに散歩に出かけました。月曜日の散歩は決まって、三嶋大社へ参拝を日課としています。
そこで今年も1年、かろうじて継続できた事に対しての感謝を伝えに参拝してきました。
だからお賽銭を少しだけ奮発しました。
なぜか常日頃、お賽銭の際はケチりがちになります。小銭入れの中の、100円玉以下の小銭を集めて賽銭箱に入れています。68円とか、86円とか15円とか…
初詣でやっと銀貨にランクUPです。いつも当初は例年より多めに入れるつもりでいたのに、いざその時になると(イヤ待てよ、缶コーヒー飲めるなっ!)とか頭をよぎって減額の方向に舵をきります。
お札をまるで紙切れの様に、パチンコのサンドにはサクサク1000円や10000円を飲み込ませるくせに、お賽銭に紙のお金は入れた事が無いかもしれません。
これを機に、自らの年齢も踏まえて、もう少し増額方向で補正予算を検討したいと思います。善処します。
感謝の気持ちや、信心は金額の大小では無いのは当たり前なのですが、昔お寺に檀家さんからの寄付金の一覧表が飾ってあるのを見た時は未成年の私でも震えました。
地獄の沙汰もなんとやら…とはよくいいますが、私の中のナニカが揺らいだのを覚えています。
似た様な事を時々お客様から尋ねられます。「やっぱり高額な石の方が色々と効果があるものなんでしょうか?」と。
そんな時に(これこそまさに”人と金”の真理の一端なのかも)と思ってしまう自分がいるかと思うと、寂しいというか、怖浅ましさを感じます。
そんな時は決まって言います。「高額な石はまず第一に、希少性があって入手し難いです。したがって原価も高いかな?そしてそれらはとんでもなく綺麗な石や宝石だったりする場合が多いですよ。」と…
そんな捉え方もまた、天然石の本質であって良いと常々思っています。
色々な方向性からとらえる事ができるのもまた、面白くて奥が深いです。
何はともあれ、これからまた1年、笑って過ごす事ができれば良いなぁと祈った今日この頃です。
(。-人-。)