人が離れて草に飲まれて23年10/1
人が生活圏としての利用を止めた建物群や施設、区域を私は廃墟として捉えています。
無人化した事によって周辺は植物に覆われ、物損とは少し異なった、経年劣化による侵食や浸食の姿に何とも言えない造形美を感じます。
私が頻繁に通る所に、ちょっと前に住民が退去した集合住宅、団地があります。
人が離れてまだ一年位だと思います。
住民がいた頃は毎年季節になると、名前も知らない花が敷地内に咲いていたりして、通る度に(今年もあの花が咲く時期になったんだなぁ~。)とかバイクに乗りながら眺めていました。
年数だったり、区画整理だったりと住民が出ていく為の事情は諸説あるのでしょうが、人が住まなくなった途端に建屋を纏う雰囲気が急に変わってきたのを私は独りで眺めていました。
何とも言えない人の活気というか生活の匂いみたいなものに次第にセピアがかった影がかかってきて、静かに時間だけが過ぎていく様子に私は惹かれるのかもしれません。
住民が所々に残した不要品の存在感を次第に敷地内に自生する雑草が隠し始め、ゆっくりと堅実に草が建物の壁を覆い始めてきました。
洗濯物を干したり、買い物袋を持って出入りする人の姿や笑い声はもう二度とここには見られない、ほんの少し前の日常の光景からの離別が何とも儚くて尊く思えます。
そういえばちょっと前に、私が幼い頃に住んでいた団地も偶然そこを通った時に解体されている最中でした。
悲しいとか残念といった感覚ではなくて、人々の毎日を見つめてきた”何か”が壊され消えていく様子が、全てのモノに不変性はなくて、やがて全ては必ず無に帰す事が普遍的な事実である事を気づかされます。
そしてその更地には新しい何かが出来て、新入居者のこれからの日常がそこで始まるのでしょうね。
過去があって、今があり、未来ができる。
そんな当たり前の気にも留めない時の流れや諸行無常な事柄を時折独りで考える今日この頃です。
σ(´・ε・`*)
静岡県三島市天然石のお店コタロー堂ブログ